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北京合气道吾胜馆合气道简介日语
  合気道はここ数十年来世界に広がりつつある日本武道で、日本現代武道の1つに数えられる。80年前に植芝盛平先生の手によって創設された。植芝先生は若かりし頃日本古武術の過酷な修行を積み、その後合気武術の研究を開始。独自の境地に至り、1942年に正式に「合気道」の名称を採用した。
  
   合気道は各種古武術と剣術を融合し、争いを極力避ける事を求めている。その技は自然の理に適っており、相手の力と直接衝突せず、国書の「四両抜千斤」と同工異曲の感がある。合気道は相手を痛めることなく相手を制する事を極みとするため、「動く禅」とも呼ばれる。

   合気道の主要技法は投げ技と固め技。当身もあるが、二の次とされる。柔道の主要部分も投げ技だが、合気道のそれとは異なる。柔道は試合があるため、投げ技と固め技を同時に使用するのを禁じているが、合気道は試合が無いため、多くの技において投げ技と固め技を同時に使用している。もし相手を気遣う気持ちが無ければ非常に危険な技であるため、合気道の稽古時には常に相手の身体を気遣う必要がある。これが合気道が「創造の武道」と呼ばれる理由の1つでもあると言える。

   合気道はどなたでも参加できる武道であり、老若男女、レベルの異なる稽古生が共に稽古に参加している。合気道は人としての意思と魂を鍛えられるだけでなく、優れた護身術の1つとして、世界各国あらゆる階層の人々に愛されている。
 
 
北京合气道吾胜馆合气会简介日语
  合気道には各種流派が存在し、その中でも現在影響力が一番強く、会員が一番多いのは開祖植芝盛平を中心とする財団法人合気会で、開祖が第二次世界大戦前に創設した皇武館道場を基礎とした組織である。当時皇武館は精鋭主義を発展策略としており、2名以上の推薦があって初めて入門を許されていた。優れた合気道家を多く輩出しており、一般人からは地獄道場と称されていた。

   第二次世界大戦後、合気会の経営方向に大きな変化が生じた。植芝盛平のご子息である植芝吉祥丸が戦前の少数精鋭主義を撤廃。一般庶民にも修練の門戸を広げ、合気道組織の再建を目指した。開祖は岩間の農村にて修練に励み、吉祥丸は東京にて合気道の復興に力を注ぎ、ついに合気道は世界へ羽ばたく武術へと成長していった。

   現在合気会道主は開祖の孫に当たる植芝守央が務めている。
 
 
北京合气道吾胜馆祥平塾简介
  九州の福岡市に位置し、1977年菅沼守人師範によって設立。合気会九州地区の本部である。祥平塾という名は開祖と吉祥丸道主の名からつけられた。

   菅沼守人師範。1942年生。アジア大学合気道部にて合気道を始める。1967年大学卒業後、開祖の内弟子となる。1970年開祖の逝去後、合気会日本九州地区の責任者である砂泊師範が独立。砂泊師範当時9段。大きな勢力を有しており、合気会は九州組織を失う局面に直面した。吉祥丸道主と本部道場長の話し合いの結果、最年少の内弟子を九州地区の責任者として、派遣、常駐させる事を決定した。この指導員が菅沼師範である。菅沼師範、若干27歳の時である。当時福岡県内において合気会所属の稽古生は100人に満たず、任務は相当困難だった。30年の努力を経て、現在菅沼師範の弟子は3000人(初級入門者を含むと2万人以上)を数え、日本各地はおろか、ヨーロッパ、カナダ、イスラエルなど世界各地に90以上(学校の部活を含む)もの門下道場を構え、自らもその地に赴き合気道の普及に努めている。菅沼師範は開祖、吉祥丸道主、父として慕う大澤喜三郎師範三名を師として仰ぎ、技においては開祖晩年の合気道の風格を体現している。2001年に8段を授与され、現在全日本合気道連盟理事を務めている。
 
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